有形文化財
大内義隆供養塔(おおうちよしたかくようとう)

所在地/むつみ村大字片俣1246番地
大内義隆供養塔
 大内義隆の墓は、自刃した長門市深川大寧寺にあるが、御舟子養雲院には、義隆の供養塔がある。その建立は、禅林寺境内の吉見正頼息女の墓と同時代にできたものと考えられます。

 大内義隆(31代 1507〜1551年)は室町時代後期の武将で、義興の後、家を継ぎ、周防、長門、豊前(福岡)、安芸(広島)、石見(島根)、筑前(福岡)、備後(広島)の7国の守護です

 文学を愛好、明、朝鮮半島、西洋から文化を移入し、山口の文化を高め、ザビエルの山口での布教を許可しました。

 下剋上の世、天文20年(1551年)9月1日武断派の重臣陶隆房(晴賢)の謀反により、長門深川大寧寺で自害します。栄華を誇った大内氏も、義隆をもって正統は断絶しました。