高俣を流れる蔵目喜川(ぞうめきがわ)の上流の里に伝わるお話です。
 むかし、この里は、笹(ささ)や茅(かや)が生いしげり、猪や猿が住んでいる山々に囲まれていたところでした。

 里の人たちは、狭い平地を耕して、米や麦を作っていました。また、山すそを切り開いて黍(きび)を作ったり、木を切り倒し、岩を動かして蕎麦(そば)を作ったりしていました。

 里の人たちは、いつも麦飯を食べ、蕎麦(そば)だんごや黍(きび)だんごを食べて暮らしていました。食べものこそ、粗末なものでしたが、それはよく働き、しあわせな毎日を送っていました。


 秋の取り入れに忙しいある日のことです。

 この里を取り締まる地頭が,お供の者をつれて,見回りにやってきました。汗を流して働いている里の人たちを集めて言いました。

 「おまえたちよーく聞け。あの瀬戸に土手をつくり,ここを湖にする。これからは,取り入れをやめて,土手づくりに精を出せ。」

と荒々しく命令して立ち去って行きました。

 里の人たちは,驚きました。でも,なにしろ相手が地頭ですから反対することはできません。ため息をつきながら嘆くばかりです。

 それからというものは,土手をつくるために,土を掘ったり,石を運んだりする仕事が続きました。それから里の人たちにとって命のように大事にしてきた田畑は,里の人たちの涙と共に,湖の底に沈んでいきました。
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 青々とした水をたたえた御舟湖は,村の人たちの苦しい暮らしをよそに,山かげを静かに映し出していました。

 地頭には,水江姫と渚姫という美しい二人の娘がいました。この二人の姫が,舟を浮かべて遊んでいる様子は,まるで絵のようでした。

 この御舟湖から山を一つ超えたところには,昼でも暗い谷間があり,竜現淵とよばれる深い淵がありました。里の人たちは,竜がすんでいるといって,この淵には,だれも近づこうとしませんでした。

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 この竜現淵の近くには,ひとりの老人が住んでいました。

 老人はやせほそった体で,白いひげにおおわれた顔には,目だけがふしぎに光っていました。首には,いつも木の実の数珠(じゅず)をかけ,ジャラジャラと音をさせながら歩いていました。

 老人は,湖の見える岩に,よく腰を下ろして,古い琵琶を弾いていました。里の人たちにつらい古都がある時には,老人の弾く琵琶の音は,力強く励ますように響きました。また,楽しいことがある時には,軽くはずんで響いてくるのでした。

 里の人たちは,この老人には親切で,いつも黍だんごや蕎麦だんごをあげていました。

 春も近いある日のことです。

 地頭の二人の姫が,楽しそうに舟遊びをしていました。老人は,いつもの岩に腰を下ろして,その様子をじっと見つめながら琵琶を弾いていました。と,その時です。にわかに空がまっ黒い雲におおわれたかと思うと,ゴーッという天地がさけるような音がしました。ものすごい竜巻です。あっというまにその竜巻は,姫たちを,舟もろとも空高く巻き上げてしまいました。

 鳴り響いていた琵琶の音が,急にやみ,老人の姿は見えなくなりました。すると,あれほどものすごかった竜巻がピタリとおさまりました。二人の姫は,水面にたたきつけられ,湖の底へ沈んでいきました。

 二人の姫をなくした地頭は,気が狂ったようにわめきながら外の人たちに姫を捜させました。

 けれども,姫たちの姿を見つけることはできませんでした。

 陽が西に傾きかけたころです。

 竜現淵の上の山がピカッと光り、流れ星のように光のすじが、湖の上を走りました。すると、どこからともなく、

「地頭よ、よく聞け。この湖の底は、もともと里の人たちの命より大事な田畑であった。それを自分の楽しみのために、湖にするとは何事ぞ。勝手なふるまいは許されない。ただちに土手を切って、もとの田畑にもどすのだ。」

と、その声は重々しく、心にしみとおるように響きわたりました。

 里の人たちを苦しめていた地頭も、ついに瀬戸の土手を切ることにしました。里の人たちは土手を切りました。湖の水は、ドーッと音をたてて流れ出しました。水が引くにつれて、元の田畑が次第に姿を見せはじめました。水が引くと湖の底に、二人の姫の亡きがらが横たわっていました。

 地頭は、里の人たちに頭を下げました。裏山にお堂を建てて、二人の姫の亡きがらを祀りました。里の人たちもお堂にお参りして、懇(ねんご)ろに姫の霊を弔いました。お堂には、いつも野の花が絶えませんでした。

 いつとはなく、あの老人は、姿を見せなくなりました。けれども、里の人たちの中には、老人の弾く琵琶の音が、どこからともなく流れてくるのを、聞いたという者が何人もいました。

 それから後、この里は、農作物が豊かに実るようになったということです。今の「御舟子(みふなご)」に伝わるお話です。